くろたかの目指せ!中小企業診断士

独学で中小企業診断士を目指す中年のブログです。まあ、モチベーションを維持して頑張ります。

うーん、出来ない奴②

くろたかです。
続きを。


上司「今朝Kから電話があり、自分がおかしいというのです。年明けからおかしいみたいで。ネットで色々と調べたらしいのですが自分がADHDではないかというのです」
ADHD(注意欠陥・多動性障害)。
ネットの受け売りですが、チェックシートのようなものがありました。
確かにKの状況に多く当てはまります。
漫画などもあり症状に対して分かりやすい説明もありました。


上司「本人はそのサイトを見た途端、自分はダメだ、周りに迷惑を掛けないと生活ができない人間だと思い込んでいるようで・・・・」
多くの場合、このような状態で長期連休に入ると連休明け出社しないことが多いのです。
鬱の初期的な段階です。


くろたか「分かりました、時間がありません 手分けしましょう。上司殿は彼の診断後の面談を私は、業務側を調整します。今日中にバックアップ体制は作りましょう。」


本日は、一日走り回ります。
うーん、明日休めるのかな・・・。


うーん、出来ない奴

くろたかです。
明日から連休に入ります。
輸送機は、長期休暇が普通なので9連休です。


そんな長期連休まで来週に迫った先週のことでした。
他事業所の所員から電話があったのです。
名前は、Kとしましょう。
他部署ですが、昔から知ってる奴です。


K「くろたかさん、明日は休みをもらいます」
くろたか「そうか、どうした急に」
K「いやー働き過ぎだから健康診断に行けと言われて、どんな診断をすればいいですか」
くろたか「どんなって、お前休むんだよな、明日。働き過ぎだって」
K「いや、健康診断に行けと言われて、どんな診断に行けば・・・」
くろたか「落ち着け、話を聞け」
急にかかって来たその電話は、明らかに変でした。
頭の中が整理できずにしゃべっているそう感じました。
くろたか「いいか、何のための診断だ?何が大事なんだ?話す限り折角休むんだから、まずは一日ゆっくりとしろよ。診断はその後の話で良いぞ。」
気になったので二日後に面談をしました。
私は思いました、やはり彼はおかしいと。
話から明らかに何か彼に異変があると。
この事は、リーダーとも共有ししばらくは注意してみてくれとお願いしたのです。


彼は今年40歳、昔から出来ない奴って皆に言われています。
集中力がない、ミスが多い、真剣みがない(人の話をじっと聞かない)
皆が彼を諦めていました。
そんな時、私は彼をあるリーダの下につけたのです。
人一倍情熱のあるスパルタのリーダでした。
リーダーは彼と一緒に仕事をやりだしたのです、少しでも彼のためになればと。
暫くは、上手くいっていました。
最近は責任感も出てきた・・・そう聞いていました。
そんな矢先の出来事でした。


そして今朝、Kの上司から電話がありました。
上司「くろたか所長、たった今Kから電話がありました、申し訳ない彼を医者に行かせたいのです、健康診断ではなく心療内科に」
空気的に尋常ではないと感じました。





うーん、水商売の誇り

くろたかです。
GWは、実家に帰ろうと思います。
子供たちの時間は合わないけど、まあ帰るつもりです。
実家には、母が一人暮らしをしています。
もう美容師を半世紀以上もしている自慢の母です。
母は岡山生まれ、中学卒業後大阪に。
そして美容師の店に住み込みで入り、美容学校に。
20才で独立、私を生んだのは21才の時です。
父がやくざな人でほとんど家には帰りませんでした。
毎日母と弟と銭湯に行くとき3人で歩きながら話をするのです。
忘れられない一言があります。


母「あんた、水商売って言葉知ってるか」
私がまだ小学校の時です。
母「水商売ってな、いつ流れるか分からんような落ち着かへん商売やから水商売っていうんや」
子供ながら何言ってるんだろうと思いました。
母「皆言うんや、美容師は技術の仕事やって、先生は堅い商売やって。でもな周りにおる人、近所の人、その人らが怒ったり、おらんと私らご飯食べられへんし死ぬんやで」
母「お母さんが癇癪起こして周りに偉そうに言うたらもう皆ご飯食べられへん」
嫌なことがあったのだと思いました。
母「でもな・・・お母さんはこの水商売って言葉が大好きなんや」
言葉を飲み込みながら必死にしゃべる母が印象的でした。
母「ええか、忘れなや。将来いくら偉くなっても総理大臣になってもや。あんたらはこの近所の人に感謝せなあかん。あんたらは、私の水商売で育ったんや、忘れなや。」
くろたか「そうか・・・覚えとくわ」


母にあの時何があり、何がつらかったのか、いまだに分かりません。
でも今も私は実家に行くと〇〇美容室の息子です、ご無沙汰しています。と近所の方に頭を下げます。もう長く続けてきたことです。
それは、あの時の母の水商売への誇りを聞いたからです。
そして、68歳を迎える今も母は、その誇りとともに美容師を続けています。
もう半世紀以上も大好きな水商売を。